戸塚の人なら大体みたことあるこの絵。かの有名な歌川広重が描いた東海道五十三次「戸塚・元町別道」です。
実はこの絵に出てくる橋、戸塚駅の東側、吉田町のあたりに現存しています!だいぶ見た目は変わっていますが…。(これは結構有名かもしれませんね)
この橋のすぐそばにポツンと祠が建っていて、前から気になってたのでちょっと覗いてきました。その名も木之間神社。
橋との位置関係的にはこんな感じ。右側にあるのが橋ですね。
神社の入口に碑文がありました。がんばったら読めそう…!
頑張って読んだ結果が以下のような感じです!合ってるかな…?
木之間稲荷社縁起
□木之間稲荷社は伏見稲荷大社の御分霊を祭祀した社です
相州戸塚宿吉田元町宇宿下の住民が五穀豊穣を祈願する素朴な□神の心を以て江戸時代中期(約二〇〇年以前)に創建されました
以来人々の厚い信仰を得て今日に至る由緒深い稲荷社です
昭和六十一年柏尾川の拡幅工事に伴い現在の地を基として遷座いたしました
ここに記念として石碑を建て後日の記と致します
氏子一同
結構読めた…!なるほど、
・この木之間神社は伏見稲荷大社の分霊を祀っていて、
・江戸時代中期から戸塚にあって、
・昭和六十一年に他から移ってきた
という事みたいです。伏見稲荷というと日本中の誰でも知っている神社ですから、当時からきっと戸塚の人たちにとてもとても大事にされていたんでしょう。色々な人の想いがたくさん詰まった場所です。
そして、もともとは違う場所にあったみたいです。道理で歌川広重の絵にこの神社が映っていないわけです!謎が解けました!
もともとどこにあったんでしょうね。「吉田町」ってあるのでそんなに遠くないとは思うんですが、「元町」とか「宇宿下」とかはもう地名として残っていないような気がします…。木之間とかっていうくらいなんで、森の中にあったんですかね…。
何かご存知の方、教えてください!